私の一連の作品の根底に流れるものは、抑圧された精神である。そして私は人類の抑圧の歴史は、時間と空間の概念が発明された時に始まったのだと考える。
   1978年から1985年頃の作品は、人間の意識の中で悔恨により発した時間、屈辱により発した空間を両軸とするアーティストの世界像が描かれている。無意識においては時間と空間の概念は存在しない。そこでは全てが肯定され、否定を知らないからである。
   だが我々の意識下では、満たされなかった、しかし満たされたかも知れないという悔恨が生じた時、人類はその地点を過去と設定したのだ。時間の概念を持つに至った訳は、抑圧を知らなかった時期を後に残してきてしまったという我々の嘆きであるかも知れない。そして空間概念は、物理的な人間の限界という屈辱の対象を閉じ込める為の容器として発明された。
   これらの時間と空間の病は、今文明においてあまりに根深い。人間にとってコントロール不可なこの耐えがたい悔恨と屈辱を克服し、復讐しようとする人類のあがきの歴史が、この文明を作り上げてしまったと言っても過言ではないだろう。
   そして、この過文明の中で生きることを強いられている人類の不安と危機感も、また大いなる抑圧である。抑圧を克服する為に生まれた新たなる抑圧。1985年から90年代初期の作品のテーマになったのは、こうして人類が手にしてしまった新たなる抑圧という事実である。
   時の権力・国家又は一部の支配者により決定づけられてきた文化・思想・哲学・・・そして彼等による押し着せの文明の中に、衝突が生まれ、またあまりにも大衆の手からかけ離れて進み過ぎてしまった科学が存在することとなった。人類自らが作り出した物への恐怖。退化への進化。
   90年代全般の作品には、新たなる抑圧を強いられた環境の中で静かに絶叫するアーティストの心理がテーマとなり、絶望・怒り・嘆き・模索・解決・前進・希望などの入り混じった感性が交差する。そして社会に目を向けながらも、ただの傍観者としてアトリエに埋もれ続けた物言わぬアーティストからの脱皮が新世紀のパフォーマンスへと繋がっていく。
   20世紀末を出発点とする私の作品が意味する物は、以上の矛盾を内包したこの時代に生きることを強いられた人間の抑圧のあり方である。一体何が起こりつづけているのだろうか。少なくとも私がこの世に生を受けてから、その数十年という間に....

越光桂子 / アーティスト
ニューヨーク 2011